いつもお世話になっております、的場STONEです。
今日は、これまでの「お墓」や「終活」とは少し違うお話を、ゆっくりさせてください。
──「乗り越えなさい」「前を向いて」「いつまでも泣いていないで」。
大切な人を亡くしたあとに、そんな言葉をかけられて、かえって苦しくなった経験はありませんか。
言ってくれた方に、悪気はなかったと思います。でもその言葉が、自分の中の悲しみを否定されたように感じて、もっと孤独になってしまう。そういうことは、本当にあるんです。
今日は、石屋として20年以上、お墓参りに来られる方々と日々接してきた中で、私なりに気づいた「悲しみとの向き合い方」を、少しだけお話しさせてください。
「乗り越えた人」を、私は見たことがない
正直に言わせてください。
私はこの仕事を通じて、何百人、何千人という、大切な人を亡くされた方とお会いしてきました。
でも、「ああ、この方は悲しみを乗り越えたんだな」と感じた人は、一人もいません。
10年経っても、20年経っても、お墓参りに来られる方は涙ぐみます。亡くなった方の話をするとき、声が少し震えます。「もう大丈夫です」と笑顔で言いながら、ちょっと遠くを見つめる。
それは「乗り越えていない」ということではなくて、"悲しみを抱えながら、それでも生きている" という姿なんだと思います。
悲しみは「乗り越える」ものではなく、「持ち歩く」もの
あくまで一石屋の感覚ですが、私はこう思うようになりました。
持ち歩いていく ものなのかもしれない。
無くそうとしなくていい。忘れようとしなくていい。
ポケットの中に、小さな石ころのように悲しみを入れて、ふとした瞬間にそっと取り出して、また仕舞う。そんな付き合い方でいい。
近年は心理学の世界でも、「continuing bonds(コンティニューイング・ボンズ/絆を持ち続ける)」という考え方が広まっていて、亡くなった人との"つながり"を断ち切るのではなく、形を変えて持ち続けることが、むしろ自然で健全な悲しみとの付き合い方とされるようになってきました。
「忘れることが、立ち直る道」ではないんです。
「いつでも泣ける場所」を持っておく
そう考えると、お墓って、不思議な場所だと思います。
お墓は、「いつでも泣いていい場所」なんです。
日常生活では、もう周りに気を遣って涙を見せられない。「ちゃんとしてる風」を演じないといけない。そういう日々の中で、そこに行けば誰にも気兼ねなく涙を流せる場所を持っていることは、心の支えになります。
もちろん、その「場所」はお墓でなくてもいい。
海でも、思い出のカフェでも、自宅の小さな写真の前でも。手元供養の小さな石でも、散骨した海岸でも。
形は何でもいい。ただ、「ここでなら、泣いていい」と決めた場所を、一つでも持っていられたら、悲しみと長くつきあっていく上で、きっと支えになります。
あなたのペースで、いい
悲しみとの付き合い方に、正解はありません。
誰かと比べる必要もありません。
「もうそろそろ立ち直らなきゃ」と急かす声があったとしても、それは無視していいんです。あなたの悲しみのペースは、あなただけのものです。
泣きたい日は、泣いていい。
話したくない日は、話さなくていい。
逆に、「久しぶりに会いに来たよ」と笑顔でお墓に向かう日があってもいい。
そのすべてが、亡くなった方を想うひとつのかたちです。
今日は、石屋として、たくさんの方を見送ってきた立場から、ほんの少しだけ思っていることを書かせていただきました。
もしこの記事が、悲しみのただ中にいるあなたの
気持ちを少しでも軽くできたなら、嬉しいです。
そして、もしあなたの周りに、大切な人を亡くしたばかりの方がいたら、「乗り越えなさい」ではなく、ただ隣にいてあげるだけで、十分ということを、覚えておいてもらえたらと思います。
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※ 的場STONEは石材店であり、心理カウンセラーではありません。この記事は石屋として見てきた経験からの言葉であり、専門的な治療やカウンセリングに代わるものではないことをご了承ください。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
